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①和知城址
岐阜県加茂郡八百津城に存在した城。美濃三人衆 稲葉一鉄の四男 稲葉方通が城主。
織田信長に仕え、美濃国西保城主に任じられた。信長の死後は羽柴秀吉に仕え、天正18年に美濃和知城に移されて4450石の所領を与えられた。
②米田城址
永正五年(1505年)肥田忠直(玄蕃允軌吉)が築城したとされます。忠直の築城は権現山の福島城で、子の忠政(玄蕃允軌休)が永禄三年(1560年)築城したとも言われるようです。土岐氏に従っていましたが、織田信長の美濃侵攻で織田氏に従うようになったようです。天正十年(1582年)の本能寺の変後に森長可に攻められ落城、加治田城に逃れたとされます。子の忠親は幼少であったため、母方の金森長近に養育され、江戸期は旗本として存続しました。
肥田氏がここを領した前は福島氏が領しており、この福島氏は福島政則の先祖であると書いてあります。
③牛ヶ鼻砦
加治田・兼山合戦の前哨戦として牛ヶ鼻砦にて加治田勢と森勢が戦った。森勢は二度攻めたが、牛ヶ鼻砦は落城しなかった。その後、森長可の領地増加の為城を統合し、加治田城と共に廃城とした。
現在は「こびの天狗山」として有名。
④猿啄城
岐阜県加茂郡坂祝町の城跡に展望台があり濃尾平野を一望できる。
岐阜県と愛知県の境の木曽川の北に位置する日本の城。この付近の木曽川は急流であり、周辺は山となっている。このため飛騨国、東濃から美濃国、尾張国への重要な地点であった。
織田信長が丹羽長秀を総大将として東美濃攻略を開始。丹羽長秀の先鋒であった河尻秀隆が猿啄城を攻略し、落城。城主多治見修理は斎藤氏に属する堂洞城の岸信周の下へ落ち延びた(堂洞合戦)。河尻秀隆が猿啄城城主となり、城名を「勝山城」と改称する。
⑤下麻生城跡 岐阜県川辺町に存在した山城で、遠見山に造られ断崖絶壁の山城である。登城の際には十分気を付けてください。
城址は稲葉貞通。 郡上八幡城の出城(物見櫓)とされています。
御城印販売開始 令和三年三月二十三日
⑥馬串砦跡 美濃米田城の肥田玄蕃の領地の砦であったが、美濃金山城の森長可が領地を所望したいとのこと。
肥田玄蕃は断るが、本能寺の変後 森氏が急襲した。これにより東美濃侵攻の先駆けの戦となる。
砦印発売日 令和三年七月三日。
⑦多治見城跡
岐阜県多治見市に存在した城。城主多治見国長。
土岐氏(美濃源氏)の流れを汲む饗庭氏一門で、美濃国土岐郡多治見郷を本拠としていた。
国長は地元の多治見市で人気があり、「多治見まつり」の際に行われる武者行列の中でも、主役の扱いを受けている。 同市内には国長の邸宅跡があり、県の史跡に指定されている。
⑧根本城址
岐阜県多治見市に存在した山城。
若尾氏の本貫は甲斐国若尾村(現在の山梨県韮崎市大草町)で、若尾甚兵衛を祖とする。武田氏の一族でもあり、釜無川流域に古くから住んでいる武士といわれている。天文年間後期から天正年間初期にかけ武田氏が東美濃へ侵攻してきたのに伴い、最先端の拠点として若尾氏が築いたといわれている。
⑨妻木城址 妻木氏の居城。
10月10日発売
⑩土岐高山城址 土岐氏一族である高山伊賀守秀頼により築城。
10月10日発売
⑪福島氏館跡 福島正則の先祖の館跡と言われています。
日発売。
⑫ ◎八坂山城跡 岐阜県加茂郡川辺町の八坂山に築城された南北朝時代城跡。
播磨の赤松則村(円心)が築城したとされている。
¥400
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①岐阜城 日本百名城ver
金華山(稲葉山)にあった日本の山城。
織田信長が、斎藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。
①-②岐阜城 美濃平定verです。
②加治田城跡
美濃国と飛騨国の入口の道をつなぐ重要な街道で中濃に位置し、西濃(岐阜城)・大垣城・東濃(苗木城)・奥美濃(郡上八幡城)の中間位置としての要衝・要所・要害・要地・拠点であった。
加治田城の築城時期は不明であるが、戦国時代の永禄年間には、美濃佐藤氏の居城であった。佐藤忠能・忠康父子が築城したとも伝えられている。
③堂洞城跡 岐阜県加茂郡富加町に存在した平山城。
城主は岸佐渡守信周
④鵜沼城址
城主 大沢治郎左衛門。鵜沼の虎。
晩年は小田原の大久保氏に仕えたといわれる。
鵜沼城址は、現在閉鎖され立ち入ることはできない。
⑤伊木山城址
岐阜県各務原市に存在した山城。周辺はいこいの森伊木の森として整備されている。
織田信長の家臣で武功を挙げた香川長兵衛忠次が、この地の名にちなんで伊木の苗字を授けられ、伊木忠次と改名したという。
そしてこの伊木山に伊木山城を築き居城とした。後に信長の家臣である池田恒興に転仕した。
⑥関城址
岐阜県関市安桜山に存在した山城。
城主は長井長弘。美濃小守護代。斎藤道三に長井姓を継がせたと言われている。
別名、安桜山城・桜山城と言われる。
⑦一柳城跡(ひとつやなぎじょう)
岐阜県関市大洞字一柳に存在した城。
美濃国土岐氏の家臣と伝わる宇佐見丹波守弘房が大洞城を築城し先谷八幡宮を造営した。
その後美濃を攻略した織田信長は、郡上八幡城の遠藤慶隆の南下に備えて、大洞城を一柳直末に命じて改修させる。その際大洞城から一柳城と改称する。
⑧迫間城跡 岐阜県関市迫間山の山頂に存在した山城。城主は大島氏と言われている。
麓には迫間不動尊があり山頂からの眺望は良い。
⑨田原城跡 別名 於前屋敷跡 土岐一族 田原氏 城主は田原頼郷
岐阜県関市東田原に存在した。 御城印販売開始 令和三年三月十五日
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①可児才蔵吉長 関ケ原最強の武将といわれた。
ネット限定ver (蟹兜なし)
②明知十兵衛光秀公 土岐氏一族var
土岐氏は清和源氏の流れ、清和源氏流摂津源氏系美濃源氏の嫡流として美濃国を中心に栄えた軍事貴族の系統。
清和源氏の代表的な家紋である笹竜胆を入れました。
③煕子 土岐氏一族
妻木宗家var 妻木氏 光秀公奥方
④帰蝶 姫印
美濃国主 斎藤道三の娘 帰蝶です。
土岐氏流明智氏の一族です。
⑤斎藤道三 戦国大名、美濃の国国主
⑥明智光秀 源姓土岐氏
大河ドラマ記念武将印
⑦織田信長 第六天魔王
大河記念
⑧蘭丸 森成利 美濃金山城城主。
織田信長の小姓として有名。
⑨稲葉方道 和知城城主。美濃3人衆 稲葉一鉄の子息。
⑩長良川の戦 合戦印第二弾。
弘治二年4月20日に斎藤道三公と義龍の間で起きた内紛。
昨年に続き第二弾販 令和三年4月8日販売開始。
¥400
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