商品名 :①土田城址  /②明智城  /③美濃金山城 /③-①兼山城址 /③-②美濃金山城 三左衛門ver  /④塩河城址 /⑤大森城址 /⑥久々利城址 /⑦吹ヶ洞砦跡 /⑧羽崎城址 /⑨今城跡 /⑩室原城址 /⑪下切城跡 /⑮根本城址 /⑯猿啄城 /⑰多治見城跡

①土田城址

 土田氏・生駒氏の居城。 

 岐阜県可児市土田に城址があります。

 土田城で土田御前 信長公の母君が生誕したとされています。

 土田城址の麓には、土田御前と赤子の信長公の像が建立されています。

 湯の華アイランドが目印です。

 

②明智城 

 明智長山城とも呼ばれており、明智荘(岐阜県可児市)明智一族の領地も大河ドラマで有名になりました。

 花フェスタ記念公園内に「大河ドラマ館」が併設されています。

 

③美濃金山城 国史跡指定

 烏峰城の名で斎藤正義が築城。

 信長公が美濃を平定し、森可成が金山城(兼山城)と改名。

 鬼武蔵で知られる長可、蘭丸・坊丸・力丸は信長公の小姓として有名。 

  新デザイン 令和三年四月十八日発売。

 

 ③-①兼山城址 (美濃金山城)国史跡 続百名城。

 織田信長美濃国を平定したことにともない、永禄8年に家臣の森可成が城主となり兼山城と改称した。 

 

③-②美濃金山城 森三左衛門ver です。

 

④塩河城跡 可児市塩河に存在した城(砦)。城主は室原城の可児秀行。

      森氏の一族とも言われている。

      御城印発売日 令和三年九月十日。

 

⑤大森城址 コンパクトな城ながら、技巧的な縄張りが随所にある。城郭全体を巡る横堀は圧巻。

 土岐三河守の家臣奥村元信の子元広が築城し、天正10年(1582)美濃金山城主森長可に攻められ、落城したとされる。 

 その縄張りから、小牧・長久手の戦いの際に美濃金山城の南方を抑えるために改修された可能性が高い。

 奥村元広は前田家を頼り落延び、その後犬山に移り呉服商として名を遺した。犬山城下に奥村家の呉服家が残っている。

 

⑥久々利城址  久々利城は土岐三河守悪五郎が築城したというが、築城年代は不詳である。

 久々利家当主は代々悪五郎を名乗る。悪五郎とは剛の者の意味。

 土岐家伝来の名刀「鵜丸」を所持していた。

 

⑦吹ヶ洞砦跡 岐阜県可児市大森に存在した砦。城主は定かではないとされている。

       大森城から近く、吹ヶ洞砦のある丘があるため久々利城方面の見通しが良くなく、大森城主の奥村氏の砦の

         可能性が高い。現在砦跡の丘の下にトンネルが開通した。 砦印販売開始 令和三年四月壱日。

 

⑧羽崎城址 羽崎館ともいわれ応永年間(1410年代)の開城

 土岐氏一族 久々利城城主 土岐三河守悪五郎の三男 羽崎三郎光直の居城
 天正11年(1583)ごろ閉城。

 

⑨今城跡 可児の国人 小池氏の居城。

 本能寺の変が発生すると、いままで森氏に従っていた東濃の武将は反抗するようになった。家継も同調し反抗したが、すぐに鎮圧された。その後、森長可の立ち退き命令により今城を立ち退き、帰農したといわれている。

 

室原城址 尾州の国境に近く、美濃金山城の支城として築かれ、城主は金山城主森氏の一族で可児六郎左衛門秀行とされる。

 蟹の家紋が有名。別名 長洞城。

 

 ⑪下切城址 下切館、美濃源氏 美濃岡田氏居城。

 信長公に仕え本能寺の変後、徳川家の旗本に美濃国奉行。

 岡田善同系は将監を代々名乗る。

 

 

 

 

 

 

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